島の⽣活基盤を⽀える誇り
海⼠(あま)町は、⽇本海の島根半島沖合約60kmに浮かぶ隠岐諸島の⼀つです。
雄⼤な⾃然に恵まれる半⾯、本⼟とは⾼速船‧フェリー2〜3時間で結ばれており、
季節⾵が強く吹き荒れる冬場は船が⽋航し、孤⽴することも珍しくありません。
飯古建設はこの島で⽣まれ、港湾、橋、道路の整備、海‧⼭の防災対策⼯事などの
公共事業を中⼼に、島の⼈たちの安全安⼼な暮しを⽀えて60年以上の歴史を持つ建設会社です。
⾃社で⽣コンクリート‧アスファルト⼯場を構え、建設資材を供給する役割も担っております。
また、創業以来、主⼒の⼟⽊建設業を通し、地域と共に歩んできた弊社にとって、
島の基幹産業の振興は、未来づくりのための⼤切な課題です。
そのため、社内に「定置網事業部」を⽴ち上げ、漁業に本格参⼊。
また、⼦会社の(有)隠岐潮⾵ファームを設⽴し、
黒⽑和⽜ブランド『島⽣まれ島育ち 隠岐⽜』を⽣産し、東京市場に出荷しています。
代表取締役飯古 晴⼆
異業種参⼊した前社⻑の⼼を受け継ぐ
飯古建設を先代から引き継ぎ、私で3代⽬となります。
1960年、私の父‧飯古利夫が飯古組を創業し、 1977年に飯古建設有限会社が設立されました。
2代⽬社⻑は、⽣え抜き社員で私が幼い頃から知る⽥仲寿夫(2021年3⽉没)です。前任の⽥仲社⻑は、
バブル崩壊や地⽅財政ショックで公共事業の受注減少した1996年、当時、経営不振に陥った地元漁業組合の要請で「何とかしてほしい」と相談があり、
飯古建設で定置網事業に着手しました。
その後、2004年には(有)隠岐潮⾵ファームを設⽴し、
黒⽑和⽜の⽣産販売に進出します。
どちらも地域振興をめざしての異業種参⼊となりましたが、
根底には「業績不振時こそ従業員に1⼈の解雇者も出さない。産業を創出し、島に雇⽤機会と活気を与えたい」という、
⽥仲社⻑の想いがあったのです。
私は家業の影響もあって⼟⽊建設技術者を志し、県外の⼤学卒業後は松江市の総合建設会社に⼊社しました。
以前から、⽗の“⾝内や親戚に会社を継がせない”⽅針を知っていたので、海⼠町には帰らず、
このまま本⼟で⼟⽊建設技術者として⽣きていくつもりでした。
ところが、⼟⽊‧⽔処理施設などの施⼯管理に携わり、仕事が⾯⽩くなって11年が過ぎた頃、私に転機が訪れます。
⽗を説き伏せ、「お前が飯古建設を継がないで、どうする!」と私を⼀喝したのは、他ならぬ⽥仲社⻑でした。
飯古建設に⼊社して、約20年。技術者として現場に出る機会は減りましたが、後悔はありません。
今は⼯務部の社員を育てることで、⾃分が得た技術や仕事の⾯⽩さを伝えたい。
そして、⽥仲社⻑の想いと⼼を受け継ぎ、事業を継承することで海⼠町に貢献したいと願っています。